藤本栄之助    
  松江にて                       (2005/09/16)
   
あのころ、私はいつも思っていた。
「年老いていくことが、そんなにも悪いことなのか」
民間会社の社員も、官公庁の職員もみな六十歳になると、一律に定年という線を引かれて、退職しなければならない。そうやって多くの先輩たちを送り出し、同僚とも別れてきた。別れのときは、たいてい春が多かったから、花が咲き始め、鳥が歌いだしているというのに、春がもの悲しいのはそのためだったのかもしれない。一年の中で、一番美しい季節が来ているのに、春にはあまりいい想い出がない。
その中にあって、私はまだ恵まれていた方なのかもしれない。六十歳を超えても、私はなおしばらくは職場に残り、働くことを許されていたからである。
「許された」とはどういうことなのか。誰が「許した」のか。一応、株主総会という形式を踏んで、これから先のある期間内を働いてもよいという承認を受けた形になっていたが、それでも、総会に出席した人々が、私という人格を正しく評価し、私の実力を熟知していたのかどうか、あやしいものだった。六十歳という意味のない線上で、一方は退社しなければならない人と、片方は役職について残る人間の間にどんな差があったというのか。
私には、だから、主体的に自分の人生の道筋を選び、方向を見定めて歩いてきた実感があまりない。むしろ、運命というサイコロの目が出たように、私は夢遊病者のように歩かされてきたのではなかったか。そのような生き方しかして来なかった私が、株主総会が定めた任期を満了して、ただひとり裸のままに放り出され、社会の冷たい風に曝されたとき、これから先、長い人生の道をどう歩いて行けばいいのか、あわてて考えてもいい考えなど浮かぶはずもなかった
 
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