2026-09-09(水) 重陽の節句
【重陽】
陰陽五行説では奇数は陽とされ、その陽でもっとも大きなものが9。その9が二つ重なる日を年中で最も陽の気の強まる日とした。
それが重陽の節句らしい。
年中みても節句というのは奇数の数字が二つ重なる日になっている。
それで昔の人はそれぞれの節句に厄落としをしたわけで、その名残りが節句の行事らしい。
陽は「ひ」「日」であり、「火」であり、今年のような暑い年はそれの重なる今日はどうなのでしょうね。
日差しがきつく、海水が熱せられれば、雲になり、そしてそれが大雨をもたらす。
今日も各地で大雨が予想されており、大変なことになっている。
自然は到底人の手の届く範囲ではない。
どんな町だって風水害や地震などであっという間にその機能が失われてしまう。
「防災」という字は「災いを防ぐ」と書くけれども、実際の防災は主に「逃げること」「生命を守ること」になっている。これも間違いではない。
「減災」という言葉もあって取り組みはなされている。
しかし、この激しい気象の前には微々たるもののようにも見える。
- 昭和47年松江市は梅雨の大雨で宍道湖や周辺河川が溢れ、市内の広範囲が冠水した。私はちょうど赤十字病院に入院していたので窓から街中が海のようになっているのをみた。
- 昭和58年島根県浜田地方の大雨で激甚災害に指定された大水害を引き起こした。私は大学の実習で大雨の中、美保関の山中にいた。大学に戻ってから驚いた。
そのほかにも度々の大雨であちこち小規模な災害が発生したが、職業柄その復旧に関わり続けてきた。
故に今ニュースで流れる他県の水害が如何に大変かよくわかる。雨が上がって危険が去っても、受けた被害が完全に復旧するまでにはかなりの時間が必要となる。
だけど、今年のように各地で大雨が降るようなら、仮にまた来年も降るようなら復旧すべき災害箇所はどんどん増え、国は疲弊してしまうのではないか。
これが世界的な温暖化が影響して起こっているのならこの先毎年のようにどこかで・・・なんてことも。
日本だけでなく世界中で大きな災害が起こっている。
【松江・災害の歴史(~S47)】
これは今に始まったことなのだろうか?
実は江戸時代にも干ばつや水害(土石流)は発生していたようだ。法吉あたりでもかなりの耕地が被災したという。
- 1596 慶長1年 宍道湖があふれ、末次一村亀田山に避難。
- 1639 寛永16年 洪水により斐伊川が東流して宍道湖に入る。
- 1668 寛文8年 松江の古志原に牛馬市を開く。大干害のため古志原の田畑荒廃。
- 1674 延宝2年 6月 宍道湖より出水,洪水防止のため天神川の開さく計画決まる。
- 1689 元禄2年 天神川の開さく工事完成,当初は新川と称す。
- 1702 元禄15年 6月,8月 大洪水が起り,松江城の石垣崩壊,多数の民失。
- 1773 安永2年 朝日丹波により斐伊川治水工事が完成。
- 1782 天明2年 天明8年まで天候不順で大凶作。
- 1787 天明7年 天明5年より清原太兵衛によって佐陀川の開さくが9月に完工。同12月に清原太兵衛没す。
- 1832 天保3年 斐伊川に新川が開通。
- 1854 安政1年 11月 大地震。
- 1860 万延1年 6月 豪雨で意宇郡来待忌部村などの被害大。
- 1869 明治2年 6月 松平安定,藩籍を奉還。8月 大凶作のため、灘町に貧院を設ける。
- 1944 昭和19年 8月 豪雨のため出水,浸水家屋789戸。
- 1963 昭和38年 1月 豪雪で県下全般に被害が出る。宍道湖凍結。
- 1964 昭和39年 7月 集中豪雨で、災害救助法適用。
- 1972 昭和47年 7月 宍道湖大橋完成。大水害で災害救助法適用。
このようにこの約400年の間にいろいろな災害や、防災への取り組みが行われてきた。
しかし、400年の間に歴史に残る災害は意外に少ない。やはり近年災害が増えていると考えるべきなのだろうか?それとも記録に残るものが少ないだけか?