2026-10-02(金) すべきこと、やりたいこと

旧暦8月22日、大安、月齢21.0小潮

【ツバメまだ居る】

七十二候の玄鳥去(つばめさる)は9月18日~9月22日でしたが、今朝空を見上げると結構高いところをツバメが飛んでいました。飛び方が少し違う?そろそろいなくなるかも知れませんね。

月齢21くらいになると、朝青空に白い残月があります。秋の透き通った青空にくっきりと美しいと感じます。

汝の感受性だけはなくさないように、ずっと以前誰かに聞いた言葉。
ツバメをみて、月をみて何かを感じるそんなことでよいのかな?

確かにドラマをみてドキドキするのとは違う気がします。

理屈だけでは考えられない世界があると思います。
こうして土木系の仕事をしていると、仕事の上では筋が通っていないといけない。
何らかの説明ができないといけない。

雨で法面が崩れて、その原因が水だとしたら、なぜそこが崩れたのか、水が集まりやすいんじゃないかとか、いろいろあるわけです。

でもね、直感と言うか、ここ危ない気がするというのも大切なのです。
理屈で説明しにくくても、これは・・・・なんていうやつです。

それが現代は失われつつあるように思います。
これからは益々なくなるのかも知れません。
便利になって何でもすぐに答えがでてくる、知り合いの「あい」さんに尋ねれば、自分の知りたいことを教えてくれる。
「あい」さんの言うことは多くの情報に支えられていて十分に説明されるもの。

私たちの考える力や、感じる力を代行して、最も常識的な正しい答えをくれるんだから、もうあれこれ考える必要もないや。

花だって名前が知りたければ、ぱちっと撮影するだけで「あい」さんはすぐに教えてくれる。
絵だってプロが描くようなのをちょちょっと描いてくれる。

やがて、自分じゃなくてもよくなるよ。
自分だとこうはうまく出来ないからね。


【高齢化と民俗学】

何故か地域のじいちゃんたちは地域の歴史とか過去の文化に興味を持つ。
(そういう人が多いように感じる)

某出雲のコンサルに再就職されたOさんは斐伊川の歴史などを詳しく調べていらっしゃった。成果としては素晴らしい!

私も、最近は雲陽誌を中心に地域の地理や歴史、民俗学に興味を持ち始めている。

ふと、もしかしたらそれ自体が高齢化なのだろうか?と思う。

何かしたいけれど年齢的にもう出来ないからそちら方面に流れてしまうのだろうか?いかにも知識に見えるし。

だとしたら私はそのあたりをもう少し見直さないといけない。
歴史は史実かも知れないが、過去である。
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」でも、固定された記録として描かれている部分。
それをほじくり返したところで、新しい発見などあるわけがない。
せめて忘れていたものを思い出す程度。
(えーっと一昨日の晩ご飯は何だったかな?って感じ。)

過去に生きていると言えないか?

自分のやりたいことは本当にそれなのか?
何かを生み出せる活動を展開しなくてはならないのではないか?
歴史ならば定説を覆すような考えが必要なのではないか。